今月から2回にわたり、インドネシアのバティックの産地についてご紹介します。代表的な産地として、ジョグジャカルタ、スラカルタ(ソロ)、チルボン、プカロンガンの4つの地域があります。
大きく分けると、ジャワ島中部のジョグジャとソロは王宮文化、ジャワ島北岸部のチルボンとプカロンガンは他国との文化交流の影響を受けてバティックが発展しました。ジャワ中部と北岸部で、それぞれのバティックは色調、雰囲気が大きく変わります。今回は、ジャワ島中部の産地についてご説明します。
ジョグジャカルタ
連日観光客でにぎわうジョグジャ。1755年から続くジョグジャカルタ王家は、あらゆる芸術・文化の中心となっています。王家の庇護を受け、バティックはもちろん、ガムラン音楽、踊り、歌、衣装、ワヤンなどが発展しています。
・バティックの柄
今では誰もが自由にいろいろな柄を着られますが、王家の統治時代は、王族や貴族以外は着用禁止の特定の柄がありました。この禁止の柄として有名なのが、斜め模様のパラン柄、楕円が4つ集まったカウン柄、鳥と花がミックスされたようなスメン柄です(柄については別の回でご紹介します)。

・ソガンカラー
バティックというとジョグジャやソロで発展した茶色のソガンが有名です。ソガンの色は木の皮を混ぜ合わせて作られています。
なお、ジョグジャのバティックは現在、市外のイモギリやギリロヨ、もしくはジョグジャ地域外や近隣のソロで制作したものが多くなっています。

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ソロ
現大統領の出身地で知られるソロは、ジョグジャ同様、王宮でバティックが発展しました。ジョグジャとソロは1755年以前は一つの王家だっため、文化の内容も類似していますが、ソロで特記する事項としては、産業としてのバティックが発展したことでしょう。19世紀以降、チャプ(スタンプ)バティックが発明されたことでバティックの量産が始まり、一般市民でもバティックが手に入るようになりました。ソロの王宮の周辺やラウェヤン地域には今でも多数の工房があります。また、モールでよく見かけるBatik Kerisや高級バティック店Danar Hadi等、名だたるバティックブランドはソロが発祥地です。

金井愛美(かない あいみ)
オーダーメードのバティックショップ「ROU」(ロウ)代表。2016年6月よりジャカルタ在住。「生産者から消費者への距離を最短に」をモットーに、インドネシアの伝統文化であるバティックをより多くの人に取り入れてもらえるよう、モダンな形や着方を提案しながらバティック普及に努める。
※2020年1月号掲載